5年目の3・11 [日記・雑感]
東日本大震災から5年目の今日、5年前と同じく終日の議会(総務委員会)でした。同時刻にサイレンの吹鳴に合わせて参加者全員で1分間の黙祷を行いました。
5年前は本会議の真っ最中、予算質疑をやっていると揺れ出してすぐ停電が発生しました。足を取られて立っていられない状態でしたが、ギプスを使っていた隣の議員を支えながら耐震性のある市役所本館まで避難、50メートルほどの廊下が大変長く感じました。その間揺れていたのですから震度5弱は強烈な体験でした。外に避難してから議長が「暫時休憩」の宣言をせずに全員議場から全員出てしまったことで再開の手続きをどうするか?という事を外で話し合った記憶がありますから、とにかく避難最優先でした。
被害の様子が明らかになり始めたのは夕方になった頃、当市ではアウトレットのお客さんを中心に帰宅困難者が大勢発生し、各地の公民館で自治会や婦人会の方々が炊き出しを行って休憩、宿泊所の対応をしていただけました。
その後、自治体はもちろん各種団体でも支援活動が続けられました。私も亘理町のイチゴハウスに泥のかき出しに参加しましたが、生活感のない広大な土地の広がりに津波の被害の凄まじさを実感させられました。
これから自分では何ができるのか?考えていきたいと思います。
5年前は本会議の真っ最中、予算質疑をやっていると揺れ出してすぐ停電が発生しました。足を取られて立っていられない状態でしたが、ギプスを使っていた隣の議員を支えながら耐震性のある市役所本館まで避難、50メートルほどの廊下が大変長く感じました。その間揺れていたのですから震度5弱は強烈な体験でした。外に避難してから議長が「暫時休憩」の宣言をせずに全員議場から全員出てしまったことで再開の手続きをどうするか?という事を外で話し合った記憶がありますから、とにかく避難最優先でした。
被害の様子が明らかになり始めたのは夕方になった頃、当市ではアウトレットのお客さんを中心に帰宅困難者が大勢発生し、各地の公民館で自治会や婦人会の方々が炊き出しを行って休憩、宿泊所の対応をしていただけました。
その後、自治体はもちろん各種団体でも支援活動が続けられました。私も亘理町のイチゴハウスに泥のかき出しに参加しましたが、生活感のない広大な土地の広がりに津波の被害の凄まじさを実感させられました。
これから自分では何ができるのか?考えていきたいと思います。
2016-03-11 23:54
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